2011年12月30日金曜日

なんでもない冬の1日

 
 
半袖になれそうなほど暖かかったり、かといえば零下に震えたり。
このところ不安定な気候のセントルイスです。
気温が急上昇して、せっかく降った雪はあっという間に解けてしまい、
しかし翌朝の激しい寒さで、水溜りは大きな天然のスケートリンクになりました。
そこに車で乗り上げたヨメが、ハンドルを取られてくるくる回ってしまった時、
(やるやろなー)という予想に絶対背かない彼女に、目頭が熱くなった次第です。
 
スケートリンクといえば、先日はご招待をいただき、
NHL、セントルイス・ブルースの公式戦を見に行ってきました。
寛は、目の前で繰り広げられる激しい攻防と、
大好きなコットンキャンディーにご満悦です。
ピンクと青の2種類が、顔の4倍くらいある巨大な袋に入った綿菓子は、
食べたら必ず、口の中が青か赤か、ミックス色に染まります。
 
恐ろしいほどの着色ぶりを再確認したのは、翌日のこと。
「パパー!パパー!」
切羽詰ったような寛の声に呼ばれてトイレに駆けつけると、
そこには鮮やかな緑色のブツが鎮座していました。
 
ところで、僕のリハビリは大変順調です。
 
 
 
試合中に突然の紹介が。
スタンディングオベーションをいただき、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

2011年12月24日土曜日

クリスマスイブは特別な日

 
 
日本の皆さんお元気ですか?
ようやく悪天候から抜け出したセントルイスでは、
久しぶりに太陽が顔を覗かせました。
気温は氷点下でも、時差ボケ解消には陽を浴びるのが一番。
そして、刺激的な出来事があるのも効果的です。
 
数日前のこと。
何年かぶりにアルバート(プホルス・来季からエンゼルス)と会いました。
相変わらず地に足のついた大きな子供。
彼や彼の家族の変わらない笑顔がとても嬉しくて、
どうでもいいおしゃべりがとても懐かしくて、それだけでも大いなる刺激。
さらには、
卓球勝負に燃え、
ガレージの超高級車の「エンジン音を聞かせて」とねだり、
雪かき用のバギーに二人乗りして「わーい、走って!」
アルバートを振り回すうちの息子・寛(かん)にひやひやしたおかげで、
僕の時差ぼけは強制終了です。
 
おい、お前の「わあわあ」に相手してしてくれているのは、
野球界の至宝やぞ。俺やって、見栄と人目さえなければ、
サインちょうだいと思わず言ってしまいそうな、
野球人の憧れなんやぞ。
 
と、言ってみてもなあ。
寛にとって、セントルイスは人生の大半を過ごした場所であり、
アルバートは、昔よく遊んでくれたでかいおっちゃん、に他ならないのです。
 
今日は12月24日、クリスマスイブ。
寛が、その「故郷」セントルイスで8歳になりました。
 
彼が生まれてからこれまでの間は、変化の連続で、
移動ばかりしていたから、学校や住居もころころ変わり、
友達が出来てもすぐにお別れしなければならなかった。
幼い子供には、どれだけ心と身体の負担になっていたことでしょう。
しかし、「子供が中心に回る家もある。でも、うちはパパに私たちが合わせる」と
ヨメに言い続けられてきたせいか、
「こういうもんや」と、いつの間にか、図太くたくましくなってくれました。
 
パパは現在無職や。来年もきっと波乱含みやぞ。
今の勢いで、しっかり腹くくってついて来いよ。
我が家の変化は、まだまだ終われへんでー!
 
 
友人たちが用意してくれたバースデーケーキならぬ
バースデークッキー。
 

2011年12月22日木曜日

そら大きいで、アメリカ人

ここ数日雨のセントルイスです。
西宮と変わらない寒さですが、じわっと湿ったような日本の底冷えに比べると、
こちらは耳が痛くなるような、きりっとした冷気に包まれています。
渡米してきてからしばらく経ったというのに、時差ぼけが全然取れず、
午前3時にぎらぎら目が覚める生活。
時差ぼけじゃなくて、年齢だったりして・・・。
今朝は、少しでもそんな生活から脱却するために、リズムを作るべく、
大好きなパンケーキの店に朝ごはんを食べにやってきました。
ここにある「Dutch Baby」が目当てです。
ドイツ風パンケーキで、レモンとバターと粉砂糖をかけていただきます。
バターにレモン。そしてこれでもかと粉砂糖を振り掛ける。
甘党の自分が憎い。
それにしても、一人前、でかすぎるやろ!
家族3人とはいえ、これ以外にもパンケーキつきのオムレツや
ハッシュブラウンなどをオーダーして、激しく後悔しました。
たたでさえ日中寝ぼけているというのに、
こんなに食べたら満腹で再び寝てしまいます。
以前は何の疑問もなく、これくらいの量はペロッと食べていました。
それが二年日本にいて、リセットされた胃袋で臨んでみると、
その量、カロリーにあらためてびっくりです。
ヨメが10年以上に渡るアメリカ生活において、
律儀なくらい規則正しく、年1キロずつ成長していった理由も、
大きくうなずけるというもの。現在は努力の甲斐あって元通りに
なりつつありますが、アメリカの食事に「びっくり」→「普通」→「物足りない」と
なっていったのは、ごく自然な流れだったことでしょう。
僕はしばらくセントルイスでゆっくりと身体の手入れをして、
年明けにはもう少し温かいところに移ります。
アメリカでのリハビリは、体重管理との戦いでもあります。

2011年12月14日水曜日

少しずつ

めっきり冬らしくなりましたね。皆さんお元気でお過ごしでしょうか?

年内はたぶんメールを打てまい、と思いきや、手術やリハビリの先生、看護師さんたちなど、まわりの方々のご協力のおかげで回復が早く、まずは球場ではなく、とりあえずパソコンの前に復帰いたしました。

リハビリは順調。そして、先日のとある出来事から、そのスピードは加速しつつあります。

先日用事があって、息子・寛(かん)の学校に顔を出した時のこと。クラスの子供たちにつかまってしまい、休み時間に寒空の下、校庭に引っ張り出されました。
 
アリのごとく、わらわら寄ってくる子供たち。背中や頭によじ登り始める子供たち。

「かんのパパ、遊ぼう!」

「かんのパパ、鬼ごっこしよう!」

「サッカーしよう!」

「追いかけてきて!」

小学校2年生とは、リクエストだけやたらに多く、こちらの言うことはまったく聞かない生き物です。

「おい!引っ張るな!」

「アカンアカンそこ叩いたらアカン!」

「肩!肩はやめて!肩だけは許して!」
(このままでは怪我をしてしまう。逃げなければ)

その時です。
「かんのパパ、走って!」

誰かの声に弾かれたように、僕はまだ子供が乗っかったままの状態で、走り出しました。そう、つい、うっかり。実は手術後、肩への負担を考えて、一度もランニングをしたことがなかったのです。
ところが本能的に走り出してしまったものだから、(あ、アカン走ってもーた)と気づいたのは、しばらく経ってからのことでした。

「ここで何かあったらもう終わりや」という気持ちのせいで、手術後は、恐る恐るしか動けなかったのです。でも、走れました。走っていました。気づいたら、腕を振って走っていたのです。

ただ走る、という、今まで何も考えずにやっていたことが、こんなに嬉しいとは思いませんでした。リハビリは、肉体的なダメージばかりではなく、「これからどうなるんだろう」という不安との戦いでもあります。それらをひとつひとつ拭って行くその先に、来年のシーズンがあったらどれほど素晴らしいことでしょう。

僕はまもなく渡米して、じっくりと、しっかりと身体と向き合ってきます。

また、このページに遊びにいらしてください。

次回の報告では、たぶんもっとパワーアップした田口壮をご覧いただけると思います。

2011年10月13日木曜日

ありがとうございました

皆様、大変ご無沙汰しております。

僕は現在、入院先の整形外科の病棟で、このメールを書いています。

明日、肩の手術を受けることになりました。まだ現役として野球を続けたい、その気持ちから、賭けに出ることにしました。手術をして、もとのように投げられるようになるかどうかはわかりません。
けれど、後悔のないように、でき得ることはすべてやってみたいのです。あきらめの悪い男だと笑ってやってください。しつこさには自信があります。明日からは完全に右側を固定されてしまうので、これがおそらくは、今年最後のメールです。

そして、「オリックスの田口」としても、最後のメールとなります。

最近の報道などで、皆様にはご心配をおかけし、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。同時に、シーズンで一番大切な時期にいるチームに、私事のごたごたで迷惑をかけたくない、という気持ちから、まずは黙っていよう、と決めていました。

しかし、球団側の発表と、事実があまりにかけ離れていることで、「いったい真実は何なのか」と、応援してくださる皆さんを混乱させてしまうのはあまりに失礼であると思い、自分の言葉できちんと報告すべきと、パソコンに向かった次第です。

9月の中ごろだったでしょうか。球団から「お前は来年どうしたいんだ」と聞かれ、「現役やりたいですねえ」と話したのを覚えています。「引退するんやったら、コーチとかのポストをあけるつもりはあるけどなあ」とは言われましたが、話はそれで終わりました。

そして、9月30日。「現役を続けるのであれば、うちとしては戦力外です。肩の手術も好きにしてください」と通告されました。その際、今後についての打診は一切受けていません。

さらに、「このことは黙っておいてくれるか」と。

僕は、「まわりの人に悟られてはいけない」と、その直後から普通に練習に参加しました。もはや何のために練習しているかわからない日々でした。そのうち、何人かの球団関係者から、「聞いてるよ・・・」と言われ始め、その数日後には、一部の新聞に、「戦力外通告」の記事が出ました。しかし球団は通告の事実を最後まで否定。「田口とは今後のことを話し合っている」として、第一次の戦力外通告リストには「今回は載せない」と連絡してきました。

楽天の山崎さんが胴上げされて退団した直後には、「田口も記者会見をするべきでは」と打診してくれた球団関係者もいたそうですが、クビになった選手の会見には違和感があり、実現しませんでした。

そして本日、球団が「田口が退団する」と発表しました。「慰留の上の退団」だそうです。僕は「退団」するのではありません。慰留もされていません。戦力外、クビになったのです。退団、には、「出て行きます」という本人の意思があります。しかし僕にチョイスはありませんでした。

発表が今日になった理由は、「今まで話し合いをしていた」からだそうですが、僕は後にも先にも、戦力外を告げられた9月30日以降、球団と話もしていません。「指導者としてのポジションを用意したが、本人の意思が固かった」そうですが、そんなお誘いは受けていません。

今こうしてメールを書きながら、まず残念と思うのは、こういった報告でしか皆さんにお別れができないということです。なんらはっきりした理由も告げられず二軍に落ちた日から、まさかこんな最後が来るとは思っていませんでした。

今、CSに向けて戦っている選手たちにも、これで何らかの影響を与えてしまったとしたら、それも申し訳ない限りです。

日本に帰ってきた時、オリックスからは「将来的にはチームのために」と、引退後も何かの形で関わって行ってほしい、と言われました。僕にとっても、オリックスはふるさとであり、神戸のファンと一丸になって戦った場所であり、これからも骨を埋める場所、そう信じていました。だからその言葉は本当に嬉しかった。

それが2年経って、このような形になったのは、きっと僕の力不足ゆえなのでしょう。「オリックスの田口」を応援してくださった皆さんには、ただ挨拶もなく消えていくことが申し訳なく、どうやってお詫びをしたらいいかわかりません。

本当に、ごめんなさい。

そして、心から、これまでのサポートに、感謝の気持ちを捧げます。皆さんは、熱くて優しくて、僕らといつでも一体化してくれる最高のファンでした。僕は皆さんのおかげで、励まされ、前へ進み、ここまでやってくることができました。

明日、新しい肩を手に入れて、また次の道を模索します。クビになるのは2年ぶり4回目です。甲子園の常連校並です。慣れています。

背番号6番の、33番の、やけに目のでかい選手がいたことを、心のどこかにとどめておいていただけたら、それだけで僕はうれしい。

ありがとうございました。

2011年9月5日月曜日

修学旅行の写真のような

4月。二軍スタートとなった僕は、新人たちに囲まれておりました。
プロ入りの緊張以上に、興奮と喜びで堂々としている若い選手たちは、
びびりまくっていた新人の頃の僕とはまるで違います。

どれくらいのびのびしているかというと、たとえば合宿所の風呂。
入り口のスリッパは脱ぎっぱなしでバラバラで、
それをひとつひとつ揃えるのは僕の役目です。
「ちゃんとせんかい!」と言うのは簡単ですが、叱られ慣れていない
いまどきの子供たちにとっては、鬱陶しいだけでしょう。

だから、背中を見てもらいたい。身体を丸くして、後輩たちのスリッパを
黙々と揃える僕の姿を見てほしい。そこから、
「おっさん、マメやなー」と思うのか。
「あ、ホンマはおれらがやらなアカンのやなー」と悟るのか。
それは、彼ら一人一人が持っている「資質」の差として現れます。

僕は若い選手に無理やり何かを教えたいとは、かけらも思いません。
1年目でも、20年目でも、お互いプロ。
現役である以上、チームメイト兼ライバルなのですから。
もちろん、尋ねられれば、いくらでも教えます。
しかし、押し売り教師をするほどのお人よしでもありません。

それでも。
勝つために、何かを伝えなければならないことがあります。
チーム内での細やかなルールや、プロとしての動き。
本人のためではなく、チームに迷惑がかからないように、と
正してやるのが先輩の役目です。

同時に、「オモロいな」と興味が沸いてくる選手がいます。
ちょっと、つついてみたくなる、そんな一人が、ミッツこと、三ッ俣選手です。
19歳。僕より23歳下ですから、息子と言っても過言ではない彼は、
出会った当初、「おーい」と呼びかけたら、「ふあーい?」と、
おにぎりをかじったまま振り向いたのでした。
先輩に呼ばれて、口に物を入れたまま振り向く。
ありなんですか?今風の言い方で言えば、「自分の中ではセーフ」なのでしょうか。
僕よりもむしろ、僕のまわりにいた比較的年長の選手たちを、
(こらっ!お前っ!なんちゅー態度やねん!)と
おろおろさせてしまったミッツ。しかし、野球における彼の必死さに、
僕は好感を持ちました。共に練習し、試合をしていく中で、
彼の中にある「伸びしろ」を伸ばす手伝いをしたい、と思ったのです。

だからある日、普段自分からは絶対にしない「アドバイス」をしました。
今後彼がプロとして成長するために、という願いを込めた提言。
しかしたぶん、彼にとっては「説教」でしかなかったでしょう。
僕の目をじっと見て話を聞いている最中に、
ぽろり、と大きな涙がこぼれ落ちました。

あれから数ヶ月経った今、僕は再び二軍で、夏の終わりを迎えています。
そして、ちょっと見ない間にびっくりするぐらい変化するのは、
赤ちゃんだけじゃないことを思い知らされました。
高校生のミッツが、プロの顔になっていたのです。

ドラフトされたら即プロ、とは言えません。プロには、なっていくもの。
若い選手の成長の早さとは、口をぽかんと開いてしまうほどの勢いです。
ベテランは現状維持に努めることが精一杯で、精神的にはともかく、
肉体的、技術的な成長に、目を見張るような変化は見られません。
でも、若い選手は違う。これが若さなのかと感動させられます。
42歳の僕が同じように変化しようとしたら、
身体がついていかずに、一瞬で怪我をしてしまうでしょう。

この驚きは、実に愉快です。
見ていて、痛快なものです。
あの日、「(思うように動けない)自分が悔しいです」と涙をぬぐったミッツは、
僕の言葉を意地悪や説教ではなく、好意として受け入れてくれました。

そして、ミッツの隣で微笑んでいる駿太。彼に関しては、現在まじまじ研究中です。
何しろ4月に彼は一軍だったので、僕とは入れ違い、今回初めて
マトモにゲームを見せてもらっています。またこのブログで彼の活躍を
お伝えする日も近いことでしょう。

野球には、誰かの成長に目を見張るという楽しみもあったんですね。
それとも、自分以外に目が向くようになったのは、僕自身の成長と捕らえても
いいのでしょうか。


山口県の由宇に移動してきました。バスから素振り用のバットを一本取り出して、
宿にチェックインする駿太とミッツ。
こんなにあどけない笑顔も、グラウンドではすっかりプロの表情です。



2011年8月11日木曜日

ときどき壊れます

先日、尼崎青年会議所の方々とご一緒する機会がありました。
その時、いただいたのがこれ。













水飴です。懐かしいのです。うれしいのです。
人情と情緒あふれる関西の下町、尼崎。
地元の人たちは、謙遜と誇りを込めて、「アマ」(マ、にアクセント)と呼びます。
「尼からの贈り物」と題された数々の名産品のひとつであるこの水飴は、
あまりの人気に生産が間に合わず、なかなか手に入らない逸品だとか。


早速「ねりねり」してみました。



やりませんでしたか?子供の頃。
透明の水飴を割り箸につけて練っているうちに、
空気が入ってどんどん白くなるのです。
この水飴はうっすらと茶色く、練っても白くはなりません。
でも、やっぱり「ねりねり」はお約束ですから。





夢中になって練っているうちに、
心はどんどん童心に戻って行って、
「打ったるで~」と水飴バットを構えたくなりました。





試合の後だというのに、
真夜中だというのに、
こんなにハイテンション。

たぶん、疲れとんなー。

2011年8月9日火曜日

分けてほしいパワー

野球選手としては、夏休みと言ってもピンときませんが、父親としては大いに関係のある時期です。

なぜなら寛(かん)が毎日家にいるから。普段は僕の起きる頃とっくに学校に行っている彼と、試合に行く前、連日顔を合わせるのです。

うれしいか?うーん。そりゃ、子供はかわいい。でも、小学校2年男子は手ごわいのです。

家中を疲れ知らずに走り回って、悪い言葉を連発して、叱られてもどこ吹く風。

ヨメは寛と二人の毎日にすっかり煮詰まってしまって、本気の喧嘩を繰り広げています。

都合のいい時だけちょっと遊ぶならいいのですが、ずーっと顔を突き合せるには、大変な年齢です。

有り余る体力に、知力と常識が追いつかない7歳児。

小学校3年生からしか入部できない野球チームも多くあるということは、きっと3年生になってようやく、人として少し落ち着くのかもしれません。

僕の大好きな子供映画「モンスターズ・インク」では、子供の叫び声(物語の最後は笑い声)がエネルギーとして利用されます。汗をびっしょりかいて、頭からむんむんと熱気を発している子供のパワーも、何かに使えたらいいのに。

ということで、夏休みの我が家には、人影がいっぱい。

廊下をくすくす笑いながら横切っていく姿。

荷物が全部引っ張り出された押入れの、その奥から聞こえる荒い息遣い。

風もないのに揺れるカーテンの不自然なふくらみ。

寛の所属する野球部の友達が、たくさん遊びに来て、かくれんぼをしているのです。

一人でも暑苦しいのに、小学生男子がたくさんいると、家の温度がむやみに上がります。

お前ら、冬に来い。



かくれんぼブームなので、僕も時々つきあわされます。今日はゴミ箱にて発見。

2011年8月1日月曜日

夕飯は自分で作りました

おもしろき こともなき世を おもしろく 

言わずと知れた高杉晋作の辞世の句です。
たとえ目の前の現実が面白く、楽しく、ないとしても、
気持ちの持ちようで「面白く」できる、という、
彼の生きる姿勢が伝わってきます。

すみなすものは、心なりけり、とつながるそうですが、
この下の句は、第三者が詠んだとか。
いずれにしても、人は気持ち次第で出来事を
プラスにもマイナスにも変えられるんやなあ、という教訓になります。

たとえなかなか勝てず、苦しい試合が続いていたとしても。
たとえさっぱりヒットが出なくとも。

なんてすっきり悟れるような聖人君子ではないわけで、
煩悩の塊の僕は、片時も離れない野球の、試合の、打席の、
それらの結果を、エンドレスでリピートしております。
当然そんなことしか考えていないから、顔つきは険しくこわばり、笑顔は、ない。
早朝の新幹線で東京から地元に戻ったら、
「すごい顔してる・・・」とヨメに指摘されました。
「明日からのゲームに向けて、リセットしないとね」

「おいしいもの作るから、ゆっくりしてて」とにっこり笑ったヨメは、
この数時間後、外出先のつまみ食いで食中毒になり、
まるっきり機能しなくなりました。

面白いやんか。

2011年7月21日木曜日

みんな悩んで大きくなった

「おはようございます!」
いつにもましてさわやかな挨拶が響きます。口角を上げた笑顔で、
瞳をキラキラさせるグッチ。妙に礼儀正しくて、やけに丁寧。
はっきり言って、気持ち悪いのです。
「普段の生活の姿勢を正して野球に臨む」のが勝負運を高める、
と聞いて、早速それを試しているのです。
「家を出る前には、トイレの掃除もしてきましたっ」
ああ、このままではグッチがべっぴんさんになってしまう。


どんなアプローチでも、野球にいいことは何でもやってみる。
壁にぶつかると、また苦しんで、悩んで悩んで解決方法を
探し当てる。その繰り返しが彼をここまで強くしてきました。
かっこつけて、努力してないふりをするような、そんな器用さはありません。
泥臭さを嫌ういまどきの若い人の中にあって珍しい、見た目草食の肉食系男子。


とにかく、かわいいやつなんです。
ひたむきで素直で、まっすぐな男。
僕の弟分、なんて言うには申し訳ないほど、
はるか上の空を飛び始めた選手です。
それでも、足を地に着けた「学ぶ姿勢」は変わらない。
今日も全力でプレーして、全力で悩んでいます。


悩め悩め。悩みはすべてがこの先に通じてる。
ひとつも無駄な悩みなんてない。
「これまで」を「今」に活かそうとしている俺には、
「今」を「これから」につなげていくお前が、
とても頼もしくて、
そして羨ましくて。


「お願いします!」と言うと、何も聞かれず出てくる「ざるラーメン」。
「ほらほら」って、常連の快感かみ締めてます。



2011年7月14日木曜日

移動前のひと時は・・・

いつもより少しだけゆっくり眠って、
昼からヨメと近所のうどん屋さんに出かけました。

常に目標物(今日はざるうどん)しか見ていない彼女は、
必ず湯のみに手にひっかけてお茶をこぼします。
つけ汁に天かすを入れ過ぎて水分が吸われてしまい、
最後のほうでつゆがなくなり、オロオロします。
注意力なし。計画性なし。
付け合せの天麩羅盛り合わせに、
「あなたと私で内容が違うね~」と一言。
「いや、同じやから。盛り付け方が違うだけで」
「そうなの?なんでわかるの?」
「俺は、パッと見た瞬間に、そういうのをチェックしとんねん」
「・・・そんなに普段から注意力を張り巡らせて、しんどくないの?」

僕はそういう性格なのです。何でもじーっと観察してしまう。
野球に限らず日常生活の中でもそれをやってしまうのが、
「小姑」と言われるゆえんなのでしょう。
見えている範囲だって、人より広いのです。
馬、とまではいきませんが、視界が180度以上あることは確かです。
無駄に大きな目ではないのです。

人前ではしっかり者のヨメだけれど、
僕の前では7歳児の寛とかわらない。
こうやって過ごしていると、いつも張り詰めている彼女のテンションが
柔らかく緩んでいるのがわかります。

最近は女子高生まで日傘さしてるよなー、とか、
世の中の常識って、いったい誰が決めるんやろう、とか、
とりとめないことを夫婦で話せる大切な時間。
シーズン中はなかなかゆっくり話ができず、
限られた時間の中では、せいぜい子供を中心とした、
お互いの現状報告にとどまってしまいがち。
だからこそ、思いつくままの会話で笑い合えるひと時が、
とても贅沢に思えてなりません。何でもメールで事足りてしまう世の中ですが、
目を見て言葉を交わす、ということの大切さを改めて噛み締めるのです。

これが、ゲームのない、夕方の移動が好きな理由。
では、遠征に行って参ります。


野球界もクールビズ?移動の際のジャケット着用が免除されました。


2011年7月4日月曜日

休んだらアカン

 
 
完全休養日だった今日。
本当はだらだらーっと過ごしたいけれど、身体も心も、一度休めてしまうと
次のエンジンがかかりにくい僕は、とりあえず近所の坂道で走り込みです。
試合や練習がなくても、シーズン中はどこかにやっぱり緊張感。
しかし、コンタクトもせずメガネはかけっぱなしで、
そのあたりに休日の「緩み」が見て取れます。
 
 
さて、休みの日といえば、台所をチョロチョロしたいわたくし。
今夜はユッケジャンスープを作りました。
買い物に行ったヨメによると、「お湯だけ入れたらユッケジャンスープになる素」が
あったとのことでしたが、僕の意欲を無駄にしたくないからと、
ちゃんと粉唐辛子やコチジャンをはじめとする材料を買ってきてくれました。
「素」でもよかったのに。
 
もっとも、手をかけただけあって出来上がりは上々。大変おいしくいただくことができたのでした。
外は静かな雨。家族で囲む食卓。
ああ、落ち着くなあ・・・と思ったのもつかの間、
激しい雨が降り始め、稲光と雷の音に、犬たちはきゃあきゃあ大パニック。
静かな夜は、長くは続きませんでした。
 
シーズン中は心も身体も落ち着いたらアカン、という天の声かもしれません。

2011年7月2日土曜日

Happy Birthday To Me

今夜、球場で演奏された「ハッピーバースデー」に、
うちの父ちゃんは涙ぐんでいたらしい。

42歳になった今日、現役としてグラウンドに立てたことを、
丈夫な身体を与えてくれた親、
ここまで支えてくださったすべての人に感謝すると共に、
今後も鬱陶しいほど元気な中年でいたいと思う次第です。

そして、毎晩眠い目をこすり、ふらふらになってマッサージをしてくれる
ヨメにもありがとう。
「今日も頼むわ」と言う度に、「・・・ハイ・・・」と答えるその声が、
日々弱々しくなっていくのがわかります。
朝早い寛と、午前様の僕に振り回されて、毎日しんどいはずです。
でも、おかげで元気に野球ができる。
だから申し訳ないと思いつつも、やっぱり「今日も頼む」と言ってしまうのです。

僕のマッサージの背中越し、
「今度いつ遠征だっけ?」と、さりげなく明るく訊ねる声が、
(お願いだから早く遠征に行って)に聞こえる今日この頃。


誕生日に「ツマガリ」のケーキは我が家のお約束


2011年6月20日月曜日

時代をこえて


「ゴーカイジャー ゴセイジャー 
スーパー戦隊199ヒーロー大決戦」なのです。
歴代の戦隊ヒーローたちが、大集結。
久しぶりの休日は、同じく学校が休みの寛との
映画デートと相成りました。

男の子は戦闘ものが大好きです。
別に教えたわけでもなく、与えたわけでもないのに、
いつの間にかしっかりはまっています。
日本に帰ってくるまで、
寛にとって「爆竜戦隊アバレンジャー」は
「パワーレンジャー・ダイノサンダー」であり、
「デカレンジャー」は「パワーレンジャーS.P.D.」、
「マジレンジャー」は「ミスティック・フォース」、
という具合に、役者も外人、台詞は英語の
アメリカ版リメイクを見ていたのです。

一方、父である僕は、日本の戦隊と共に育ちました。
映画のバックに流れていた、
「バンバラバンバンバン、バンバラバンバンバン♪」
というテーマソングを聞くと無意識に身体が動いてしまうし、
見覚えのあるヒーローが佃煮のごとく登場するやいなや、
心はすっかり7歳です。

あの頃、若くて引き締まっていた僕のヒーローは、
僕と一緒にきっちりおっさんになっていました。
腹が出ていました。皺が刻まれていました。
それでがっかりしたか?いえ、とんでもない。
夢の中の「永遠のヒーロー」を気取るのではなく、
ちゃんと現実の世界に、君と一緒にいたんだよ、という、
作り手のメッセージにも思えて、
目を輝かせている寛と同様、大変感動してしまったのです。

帰り道、ショップのグッズに寛と二人ではりついたとき、
男同士の連帯感がぐっと強まった気がしました。

2011年6月18日土曜日

かつての僕へ

和やかなムードあふれる、移動中のバス。
T(岡田選手)の「くしゃ顔ブイ!」も、キンコ(金子投手)のキラースマイルも、
試合のない練習日ならではのリラックスモードです。
















僕の隣では、ビッキー(大引選手)がアイパッドで、「ワンピース」に夢中です。
もはや「おたく」領域に棲む彼は、
「絶対はまりますから読んでください!」と布教に必死。
我が家では、ヨメと寛がワンピース・ファンですが、
僕はあまりの登場人物の多さに、どうやってもついていけません。
もともと、「何かにハマる」ということのない性格なだけに、
ワンピース・ブームも、どこか他人事です。

一方で、「ハマる」ビッキーは、何度も何度も、同じところを
読んでは感動しています。まるで教科書を読むように、
大変几帳面にワンピースを堪能しています。

アイパッドじゃなくて紙の本やったら、食ってまいそうやなあ。

「この台詞が」「このキャラクターが」と丁寧に説明してくれるその姿は、
小学校の頃、クラスに一人や二人はいた、鉄道や虫の博士と何ら変わりません。

何ごとにも、とにかくマジメすぎて、自分を苦しめてしまいがちなビッキー。
チャンスで打てなかった試合後は、茫然自失として、
呼びかけても反応すらなくどよーんとしています。
それを見ていると僕は、かつての自分を思い出すのです。

ただ必死で、もがくように野球をやっていた自分。
融通がきかなくて、頑固だった自分。
切り替えの下手だった自分。
己を押さえつけるがあまり、はじけることのできなかった自分。
そこから開放された時、僕の気持ちはどれだけ軽くなったことでしょう。
ビッキーも、こっちの世界に引っ張り込んで、
あれこれ背負っている肩の荷をおろしてやりたい。

マジメじゃない、イコール、不真面目、ではありません。
不真面目に野球をやっている選手なんて、一人もいないのです。
ただ、長丁場の戦いの中では、切り替え上手にならなければいけないし、
ちょっといいかげんなくらいでないと、
乗り越えていけないものがたくさんあるのです。

守備うまい。センスいい。チャンスに強い。
あとは、はじけるだけやぞ、ビッキー。

じじいの遺言、しっかり聞いたってくれ。

2011年6月10日金曜日

勝負強いのに・・・

 
いじられるのです。それはもう、連日です。
ロッカーにさりげなく置かれたゴキブリのおもちゃを見て
「ふわわわわあーっ!」
ゴムのヘビ見て、
「ひえええええーっ!」
何回も、何回も、同じ手にやられているというのに、
同じリアクションでビビるから、新喜劇も真っ青です。
 
主犯は金子投手や、近藤投手なのですが、
あまりのビビリっぷり見たさに、模倣犯が続出。
ロッカーばかりか、カバンの中にまでびっくりおもちゃを入れられるという、
小学生レベルのいたずらに、「もおー!」と天を仰ぐ、その姿がまた、いとおしい。
 
人柄の良さで誰にでも愛される、チームのまとめ役、「ペー」こと北川選手。
彼がいなければ、オリックスは成り立ちません。
だというのに、Vサインをしても、ちっとも「俺様、イエイ!」という自己主張はなく、
「ブブブ・・・ブイ・・・?」と、申し訳なさそうなところが謙虚でお茶目な彼らしいでしょ?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そういえば、毎回ワニのおもちゃを見て、
「うわわわわあーっ!」と叫んどるけど、
ゴキブリやヘビならまだしも、普通に考えたら、
京セラドームにワニはおらんやろ!
 
PS・試合以外では、冷静さを欠くようです。
 
PS2・京セラドームには、ゴキブリもヘビもいません。

2011年6月6日月曜日

同じ場所、違う思い出

 
 
家から甲子園が見えます。
ナイトゲームの時は、夜景の中、光のリングがキラキラと、ひときわ綺麗です。
高校時代のランニングコースに家を構えた僕は、あの頃と同じように、
山の上からの景色を見渡しています。
 
近くて遠い、あこがれの球場。
 
目指して、目指して、それでも出場することは叶わなかった甲子園。
阪神との試合で訪れるたびに、土を拾って帰りたい、と心から思うのです。
 
試合前、ベンチに座って「なっつかしいよなあー!」と、
いかにも「甲子園出ました」風に冗談で言ってみたら、
「懐かしいですよねえ」と、本当に出場した選手たちが
相槌を打ってくれました。
 
スマン。俺は中学の時、西宮市の体育大会で、組み体操とリレーしただけ。
 
 

2011年6月4日土曜日

すぐに拾いましょう

 
 
サウスポー、といえばピンクレディー。
はい。おっさんです。
 
最近はサウスポーという言葉自体、あまり聞かなくなりました。
「左利き」、野球で言う「左投手」のことです。
 
アメリカの球場の多くは、投手が西に向かって投げるように作られているとのこと。
だから、左ピッチャーの腕は南側に来るので「サウスポー(PAW・手)」。
この部分は、研究熱心なビッキー(大引選手)の受け売りですよ。
 
なんでそんな話になったかといえば、今日まで遠征していた、
広島のマツダ・ズームズーム・スタジアムで、たっぷり西日を浴びてきたからで、
野手にとってはつらく眩しい、その眩しさが、
僕にとっては思い出深い日差しだからなのです。
 
数年前、デンバーの空港で声をかけてくださったのは、
マツダスタジアムを作るために、全米各地の球場を視察していらした方々でした。
青々とした天然芝の外野に立つと、まるでそこはレッズの本拠地・シンシナティ。
座席の色がもっとまっかっかだったなら、どこでもドアをくぐった気分になるでしょう。
 
夢のような情景を瞼に焼き付けて帰宅したら、
じゅうたんに転がっている犬の落し物を目の当たりにして、
一気に醒めました。
 
寝よ。

2011年6月2日木曜日

ごめんなさい

インパクト、ありすぎです。
だから味に期待したらアカンのやろな、と
つい思ってしまうタイプのネーミングです。
ギンギンギラギラの店構えより、
渋いたたずまいの料理屋のほうが旨そう、
という気持ちに似ている。




お世話になっている方が下さったのは、
おそらく和ませるための心遣いでしょう。
うん、きっとそうや。
じゃあ、笑いながらいただきましょうか、と
ヨメに焼いてもらったら、
うわあ、すいません!うまい!
思わずお詫びしてしまったほどのうまさでした。

ごめんなさいごめんなさいと、
つぶやきながら食べた夕飯は人生初。

2011年5月31日火曜日

ご無沙汰しております。

皆様、お元気でしょうか?
大変長らくご無沙汰しておりました、田口です。
本当は、もっと早くお目にかかるはずでした。
しかし、「今日のメール」を「ブログ」にしよう、と管理人と相談したものの、
そもそも「ブログ」の仕組みがいまひとつわからない。
ツイッター、や、フェイスブック、など、誰もが使いこなしているのに、
僕の理解が間に合わない単語が席巻する世の中です。
ついていけない・・・とため息をついているうちに、
こんなに遅くなってしまったのでした。


先日、道を歩いていた時のことです。高校生の集団が背後から、
「あれ、田口じゃねえ?」
「ガチで田口だろ」
「ガチで田口!ガチ!」


ガチって何?
おそらくは「絶対」とか「間違いなく」という意味なのでしょうが、
こういう言葉が市民権を得て、普通に語られている時代、
僕がカタカナ現象についていけないのは
自然の成り行きというものです。
しかし、向上心は大切なので、とりあえず日常のあらゆるところで、
「ガチ」を使ってみることにしました。

「夜からガチで雨やから」
「犯人はガチであの男やろな」
「今夜、てっちゃん鍋ってガチ?」
「寛、ガチで宿題終わったんか?」
ところどころ使い方が間違っていますね。
でも、いいのです。
使い続けていくうちに、自分のものになっていくはずです。
練習あるのみ。


本日はガチガチの身体を、
犬ホットパックと肉球マッサージでほぐしております。